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道具に対する考え方が、変わってきているように感じます

本来、新しい道具は使いずらいもので、使う人に馴染むには

時間や、時には手を加えることが必要でした

そういえば、子供のころベーゴマを強くするためにヤスリで削ったりしてました(ちょっと違うかナ)

最近はブラックボックスのようなデジタル製品が多くなってしまったので

勝手にいじると壊してしまったりするので、うっかり手を出せなくなってしまいました

せいぜい、どの製品にするか、機能を調べてチョイスする方向に変わりつつあります

職人さんの中で道具が多いのは、やはり大工さん

毎日、ノミやカンナの刃を研いだりする必要がありますし

げんのう(カナヅチ)の柄を、使いやすいように自分でつくったりする大工さんもいます

当然、道具を揃えたりノコギリの目立て(歯を研ぐ)をするのに、結構なお金がかかりますが

仕上がりの出来にかかわることなので、大切な部分です

それでもかなり電動工具が占める割合が多くなっていますし

ハウスメーカーのようにプレファブが多い工事では、道具の種類も少なくなりつつあります

写真は若い左官屋の道具ですが

コテだけでも何十丁と揃えています

コテに合う箱も手作りです

彼曰く「いつも全部使うわけではないですけど・・・」と言いますが

それらの道具からは、仕事に対するプライドと愛着を感じとれます

コテも高いものは、一丁数万円するものもありますし、若い彼には結構大変なはずです

当然、道具は大切に扱いますし

道具を丁寧に扱う職人は仕事も丁寧です

それに比べると、設計の基本的な道具は少ないですね

私も、今では最終的に図面を描くのはCADを使うので、PC1台あれば事足ります

プランを作ったり、スケッチを起こしたりするのも、鉛筆と消しゴムがあればOKです

それでも、どこにでもあるものだからこそ、ちょっぴり手を加えています

定規は巾の広いものを割いて、しなりやすいように薄く削り、端を落としています

消しゴムは大きいものを、使いやすいように細長く切り分けて使います

短くなった鉛筆のホルダーは、すべりにくいように塗装をはがして真鍮の生地むき出しです

これだけ持っていれば、電車の中だろうが、出張先のホテルだろうが、どこでも仕事ができる

しかも電源もコードもいらない、最強の道具です

「いいよなぁ-、設計屋は紙と鉛筆があればいいんだから・・・」

なんて、職人さんから言われそうですね

昨日、今日のニュースはなんだか不思議でした。

東京に雪が降ったことで、雪道の歩き方、雪国の長靴の紹介など、雪国の人にとってはあまりニュースになっていない感じがあったからです。

ところが、いざ話を聞いていると なるほどな~ と思いました。雪国育ちの人は、幼い頃からの感覚で雪道を歩いています。その感覚が言葉で説明されていることに、とても興味を持ちました。

特に興味を持ったのは、転ばないように頑張るよりも、逆にわざとしりもちを着いた方がケガなく済むことがあるということです。

おそらく、この逆にわざと転ぶというのも、雪国の人の感覚の中にあると思います。

みなさんが、ケガなく、事故なく無事過ごせますように。

先日、自動車免許の更新に免許センターまで行ってきました。

日曜日ということもあって、会場は朝から混雑していました。

もちろん自分もその混雑の中の1人だったわけですが、各係の人が適所にて誘導して捌いていまして慣れたものだなぁと感心していました。

最後に講習を受け新たな免許証の交付となりましたが、改めて運転の仕方を考えさせられる機会でした。

特に今時期は雪道だったりしますので、より気を付けて運転していきたいです。

  

 

 

 

 

毎回思うことですが免許証の写真が上手く写れないのはどうしてでしょうか?

日報の社説のページに「窓」という読者からの投稿のコーナーがあります。

先日目に止まった文章がありました。ほんの一部分ですが、こんな文章でした。

新潟から娘を北海道に嫁がせました。

ある冬の吹雪の日に、北海道に嫁いだ娘から「ここは寒くて人が住む所ではない」と泣いて電話が来ました、という内容でした。

天気の良い所から冬の新潟に戻るとき、同じようなことを思ったりします。日中ならまだしも、夜に新潟に向かっているときは、無性に寂しい気分になります。

その土地には良い所、そうでない所が必ずありますが、やはり天気が人の感情を左右する部分はとても大きいなあと思います。

その投稿の終わりには、2年ぶりに再開した際、年老いたお父さんとお母さんを見て、娘さんは涙を流したそうです。

昨日は暦の上では大寒...

しかし新潟の冬でないようなあたたかさである...

でも、明日からは厳しい寒さがやってくるらしい...

どうか、雪だけは降らないで・・・と願う...

大寒といえば、トウガラシ...

ニュスでも良く出ますが、新潟の妙高の地方でかんずりが有名ですが、大寒を初めとして、雪の上に赤いトウガラシを蒔いて、雪にさらす独特の伝統的製法...

そのことにより、あの独特の甘みのある辛さが産まれるらしいのですが、自身は辛いのは少々苦手であるので、かんずりは辛いというイメ-ジしかないのですが、あの光景の映像を見るといつも、綺麗で美味しそうに見えるのが不思議だ...

そう思うと人間の感覚というものはいかにいい加減であるとも思ってしまう...

でも味覚と視覚はやはりつながっていて、特に料理は繊細だと思う...

自身は料理もたまにしますが、ほとんどが家庭料理なので、見た目はいい加減になってしまいますが、特にデザトを作るときなどは気合が入り、綺麗に作るときもある...

やっぱり見た目というのは大切であると思う...

それは住宅も同じで、使い勝手良くというのは、ほとんどのお客様からでる要望ですが、それは当たり前で、その上で格好良くできれば、さらに良い...

何となくですが、料理の味覚と視覚に似ていると思う...

最近もう一つ加えると・・・そこに、伝統的な・・・文化的見地が加わるともっと違う効果が産まれるような気がする...

そうです、まるでかんずりの伝統的手法ように...