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いまのような家の在り方というのは、ほとんどが高度経済成長期に出来上がったといえるのではないでしょうか。
しかし、耐久性や健康上の問題、耐震性やエネルギーの問題が指摘されるようになって、数年前から大きな方向転換をすることになりました。
とは言っても、既存のシステムに無理やりはめ込もうとしている感じは否めず、なんとなく継ぎ接ぎだらけな感じもします。
長期優良住宅も、現在の仕様ではとても100年も持つとは思えません。要はメンテナンスだと思うのですが、今の住宅のメンテナンス性は決して良いとは思えません。
そもそも全て覆ってしまう作り方は全く変わっていませんし、
建材を使い続けるのであれば、メーカーが考え方を変えてくれないとどうしようもないと思うのです。
先日、東北に行った際に聞いたのは「サイディングを補修したいのだが、廃番になってしまって・・・」といった、理解はできるが納得できない話しでした。
フローリングもクロスも既製品の建具も、便器や洗面器や水栓も・・・とにかく商品化されたものは、企業の論理で勝手に廃番になってしまいます。
いくら「耐久性に優れています」「メンテナンスフリーでございます」なんて言われても、壊れたときに補修できないようなものは使う価値なしと言わざるを得ません。
構造的に強固にするのも間違ってはいませんが、他の部分とのバランスも大切だと思います。もちろん倒壊してしまうのは論外ですが、家は壊れずにそのままの形でひっくり返っていたりすると、「確かに丈夫だよなぁ」と変な感心をしてしまいます。
エネルギー供給や排水やごみ等の処理も考えさせられます。
どうやら今のシステムには大きな軌道修正が必要だと感じます。
まず、集中化、肥大化したものから、分散していくべきだと思います。何十年か先には自分の家で使う電力は個人や小さな地域で発電して蓄電しておく・・・なんてことになるといいなと思います。そういう技術力の高さでは日本はトップクラスです。
何より、生産や処理しているという事を身近に感ずることは、とても大切です。
節約したり大切にしたり、汚さないようにするという気持ちは、そこから芽生えるのですから。
最近の建設途中の家を見ると、壁の中や天井裏の電気の配線の多さにビックリします。電磁波の与える影響はわからない部分が多いのですが、配線からもかなりの量の電磁波が出ていることには間違いがありません。
配線や配管だって永久ではありませんし、耐用年数が終わる時にどうやってメンテナンスするか、考えておく必要はあるでしょう。
昔の民家などは、今の建物のように金物なんて使っていないし、基礎らしきものなどほとんど無いけれど、簡単には倒壊しませんでした。
揺れてエネルギーを吸収することは知られていますが、土壁なども一役買っているようです。
地盤が沈んでしまったところは、建物を持ちあげて、基礎がわりの石を据え直し。
建物の歪みを直し、落ちてしまった壁を塗り直せば元通り。
もともとその辺りにあるもので作っていますから、廃番なんてありません。
皮肉なものですよね、進歩って何かと考えさせられてしまいます。
そういえば私の生まれた家も、暮れには畳をあげて、敷いてある新聞紙をとり(ここで古い新聞記事などをつい見入ってしまうのは、お約束ですが)床板をはずし、床下の地面に石灰を撒いて、また床板をはめ、新しい新聞紙を敷きつめて、終日干しておいた畳を敷く・・・なんてことを、大人たちが毎年欠かさず行っていたのを覚えています。
他にも障子の張り替えや畳の表替え、壁や瓦の補修など・・・
何ということのない安普請の借家の長屋でしたが、80年近く経つ今でも、何食わぬ顔で建っています。(叔父が住んでいます)
借家なのに、自分のもののように手をかけると言う事が、今の時代には何か不思議な事のよう感じられます。