こんにちは。営業設計の竹村です。
「古い建物って、なんだか落ち着きますよね」「昔の建物が好きなんです」というお客様が度々いらっしゃいます。
私ももちろん、古建築好きな一人です。古建築の魅力は、一言でいえば“必然性”にあるように思います。今のように建築用に作られた材料(建材)も電動工具もなかった時代、そこで暮らす人々はその土地にある木や石、土を使い、自然と共存する方法を模索しながら家を建ててきました。風の通り道や日射をうまく利用したり、雨や雪の多い地域では深く軒を出したり。古民家は、その土地だからこその必然性からできているように思います。
私は設計者として日々家づくりに携わっていますが、時折ふと立ち止まって古建築を見に行くことがあります。必然性から出来た古建築には、時代を超えても変わらない普遍性があるからです。
そんなわけで先日は江南区にある北方文化博物館へ行ってきました。築140年程の豪農の館です。
30メートルの丸太や総けやき造の玄関、四方柾目の柱などなど、今の時代では文化財級でないと実現しないよな〜と思うところもありますが、それでも庭園を見せるために柱を無くした大広間や、明暗による空間の変化、場所毎に異なる障子の組子、プロポーションや佇まいなど、現代の住宅設計にも通じるヒントがたくさんありました。室内空間とダイレクトにつながる屋外の庭園の豊かさには本当に感動しました。
かの有名な兼好法師は『徒然草』で「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と記しました。確かに北方文化博物館は、外とダイレクトにつながっていますから、まだまだ地球の平均気温の低かった140年前では夏は快適だったことでしょう。
ただし、間違ってはいけないのが兼好法師のこの言葉は、実は現代では「兼好法師の呪い」と揶揄されています。本来は「冬をむねとすべし」なんですね。
断熱性能や耐震性など、現代の家に求められる性能は年々高くなってきています。けれども、単に性能を追いかけるだけでは、心地よさは生まれません(もちろん、高いレベルでの性能は当たり前に確保しているという事は大事です)。数字に表れない「空気感」や「たたずまい」を整えるには、古建築に学ぶ姿勢が欠かせないと感じています。
古き良き建築には、住まい手と作り手の“距離の近さ”も感じます。地元の大工が、家族の顔を思い浮かべながら、一本一本の木を刻む。「ここはこうしておいたよ〜」「ありがとね〜」みたいな会話もあったことでしょう。住まい手のために良い材料を一生懸命に集めたことでしょう。住まいは“買うもの”ではなく、“つくるもの”だった。その感覚は、私たちが忘れてはいけない家づくりの原点だと思います。
これからの住まいがどんなに進化しても、私たちは常に「人が心地よく暮らすとはどういうことか」を問い続けなければならないと思います。そのヒントは、過去の建築の中にたくさん眠っています。
これからも古建築巡りをしていこうと思っています。
近々、福島の新宮熊野神社に行ってこようと思います!